About

Early Life

Hideoki™は1942年に長野県の山にある諏訪市に生まれました。間もなく、第二次世界大戦がちょうどその頂点に達する中、家族は東京に移りました。3歳のとき、お母さんが彼と妹の手を掴んで弟を背負いながら東京の爆弾攻撃から逃げるのが最初の記憶の1つです。川に落ちた火の板を見て「なんで川まで燃えているのか?」と不思議に思ったのを今も覚えています。

戦後に、食料不足になり千葉県にいる叔母さんと叔父さんに面倒を見てもらうことになりました。その後山に夢中になるHideoki™だが、あの頃は海が彼の遊び場でした。中学時代に東京湾を泳いで渡って、神奈川からバスで帰ることもあったくらい海が好きでした。狙っていた高校に受かるように一生懸命に勉強したのですが、惜しくもたったの1点差で落ちてしまいました。教育制度の不公平さと折り合いをつけることができなく、やはり自分と日本はマッチしないと思い始めました。それでも高評価の早稲田高校に入学できたものの、勉強する気が起こらず、山で時間を過ごすことが多くなりました。真冬でもこっそり親に無断で山に行き、山を次々と登りました。やがて自分より何年も年上の登山隊を導くこともありました。登山で家に不在の時間が多く、ある日帰ってくると「引っ越した。住所はここだから待っているね。」というメモが貼ってあったくらいでした。

Baby-Hideoki

Discovering Photography

“ 初めてカメラを持った時、その写真が人生最高の写真だと思う。

高校を卒業した後に、自然フォトグラファーにアシスタントとして雇われ、遠隔地まで彼の8x10カメラを運びました。ある日シャッターを切らせてもらって、写真に対する情熱が始まりました。18歳頃の休日にフォトグラファーに貸してくれたRolleiflexで初写真シリーズの「漁村」を撮りました。自分が撮ってきた写真の中でも最も良い作品だったかもしれないと、今でも本人は言います。

From Tokyo to New York City

それから1年後、Hideoki™は人生を180度変える決断をしました。友達とビーチでコルトレーンの曲を聴きながら船が行き交うのを見ていると、ニューヨークシティーでジャズを聞けたらどれだけ素晴らしいものだろうと、頭に冒険のビジョンが浮かびました。その瞬間、日本と山を離れて、ニューヨークでフォトグラファーをやることに決心しました。大企業で勤める友達に手伝ってもらいパスポートを手に入れました。

1963年、21歳の時に、ヒデオキはニューヨークにつきました。財産は800ドルと片言の英語だけでした。伝説のファッションフォトグラファーのヒロを探し出して、ヒロの紹介でジェイムズ・ムーアにつながり、アシスタントとして雇うようムーアを説得しました。生活費を3ヶ月分だけ持っていない焦りと不思議な説得力でジェイムズのアシスタントに勤まりました。彼の指導の下で休みなく写真と現像の勉強をしました。仕事への努力が実を結び、たった3年でHarper’s BazaarNew York Times Magazineから仕事の以来が来ました。

LONDON BRIDGE

1968年にビザが切れ、一旦ニューヨークを発ちロンドンで活動しました。ニューヨークでは既にHarper’s Bazaarのフォトグラファーとして知られているお陰でQueen Magazineなどから仕事の依頼を受け取りました。ロンドンで一冬を過ごし、アメリカのビザを更新してニューヨークに戻り、クライアントを増やしながらレガシーを築いていきました。

HOME AGAIN

撮影現場でモデルのメアリー・アーサーズに出会いました。メアリーはHideoki™のミューズとなり、しばらくしてから奥さんになりました。1年半後に長男のミツが生まれました。ニューヨークで数年働いた後日本に戻ることになり、1976年に、Hideoki™はニューヨークで成功して帰国する初めての日本人フォトグラファーになりました。彼の存在が日本の広告企業に知られるようになり、仕事の依頼の数は急上昇しました。1979年に娘の悠香が生まれ、彼女は高校時代から英興のクライミングパートナーとカメラマンの助手になりました。仕事と仕事の間には子供の頃に登った山に戻り、家族と一緒に長いキャンピング旅行を楽しみました。アメリカから持って帰ってきたフォルクスワーゲンヴァンで山道を運転しながら、彼の特徴的な白黒写真シリーズを撮りました。

下北半島でキャンピングしているある冬の朝、Hideoki™は海の近くに飛ぶ白鳥を見かけ、その写真を撮りました。その日に撮った写真の2枚が今でもMoMAのコレクションに入っています。

“黒から白へとその間のグレーの色調が一番重要。それが美を作り出す。”

Founding of Hideoki Productions

日本で6年間過ごしてから第二故郷のニューヨークに戻ることにしました。1983年にニューヨークのチェルシーに撮影スタジオを開き、Hideoki Productions Ltd.を創造しました。テレビCMの企画や写真の仕事で世界中を旅し、世界で最も有名なムービースターやロックスター、政治家、アスリートやモデルと仕事をしました。撮影監督をやっている時は手動設定のカメラを好みました。現像の必要がなにディジタル時代の写真は彼にとってつまらないものでした。

長年の後Hideoki™も2006年には退職をして、2005年に長男のミツが会社を引き継ぎました。その後ミツと奥さんのマリアの不断の努力で、会社は時代と共に進化し続けています。

Pottery and Painting

Hideoki™という名前は「物を作る」という意味で、Hideoki™にとっては物を作ることは本能そのものです。映像制作とフォトグラフィーを何年もした後に、絵画と陶芸がHideoki™の媒体になりました。若い頃も絵を描いていましたが、自分の作品に満足できませんでした。何年も後に陶芸に出会いました。写真とはまた違い、陶芸は手で触って、手触りや温度を感じながら体験できる芸術です。

 

どんな媒体を使ってでも、Hideoki™は美のためにものを創ることに喜びを感じます。

“ ニューヨークにいる時は山に登れなかったけど、白黒の写真を撮ること自体が僕にとっての山登りだった。

Mountains Climbed

Mt. Fuji
Mt. Hotakadake
Mt. Kita
Mt. Yari
Mt. Hijiri
Mt. Asama
Mt. Kilimanjaro
Mt. Hotakadake

Mont Blanc
Mt. Marcy
Mt. Algonquin
Mt. Marcy
Mt. Tsurugi
Mt. Maehotaka